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はじめての
テリアブル・
ライフ
1月
そしてジャック・
ラッセルにたどりついたのだの巻
2月
ひとりで飛行機に乗ってきたのだの巻
3月
超高速パピー、
ダリ号発進!の巻
4月
危険なまでにフレンドリーの巻
5月
あっぱれ!脱出王の巻
6月
日々是学習!?ダリの幼稚園ライフの巻
7月
ブリブリ・テリアになっちゃった!の巻
8月
目を離したがウンのツキの巻
9月
フーリガン・プチあらわる!の巻
10月
この世は巨大なスタジアムの巻
11月
オトナになんかなるもんか!の巻
12月
あなたも冒険してみます?の巻

あなたも冒険してみます?の巻

〜2002年12月〜
9.11、昨年9月11日は世界が変わった日。
そして翌9.12は、私たち家族の生活が変わった日である。
ダリ襲来…もとい、到来から12カ月。
結局のところ、ジャック・ラッセル・テリアは
悪魔なのか? 天使なのか?
ダリなりの、そして私なりの結論をご報告しよう!
それでも愛される理由

 「この連載を読んでいるとジャック・ラッセルという犬は、ひどく飼いにくい犬に見える」。
 ある日、そんな意見を小耳にはさんで、考えた。確かにこの12カ月、私はダリの悪行ばかりを書き連ねてはきた。が、もしジャック・ラッセルがただ破壊的なだけの犬なら、猟師でもない限り、誰も育てようとは思わない。とっくに絶滅しているはずである。そう、この世にダリが存在しているのには、ちゃんとわけがある。あるはずなのだ。え〜と、それは…。
 まず、なんといっても、心身ともにすばらしく(おそろしく)丈夫だ。断固として健康。神経も図太い。ストレス性のゲリは論外だし、あれだけヘンなもの(紙くずや腐った柿、ウンコなどなど…)を食べながら、一度たりともお腹を下したことがないのである。365日病気知らずの絶好調。その点じつに育てやすかった。
 ただ一度だけ、生後2カ月くらいの頃だろうか、ソファの上にたたんでおいたひざ掛け毛布の上で、仰向けにひっくり返ったまま、動かなくなったことがある。息はしているのだが、呼んでもつついても、ピクとも動かず、意識不明に陥ってしまったのだ。
 動転した母が動物病院に電話すると、「経過観察の上、食事時になってもそのままだったら再度連絡を」とのこと。「まさか重病では!?」と、母は身も細る思いだったのだが…。ゴハンの時間を待つまでもなく、突然パッチンコと目覚め、何事もなかったかのように、跳ねまわり始めたという。なんのことはない、この日、生まれて初めて毛布というものに出会ったダリは、その毛深い感触のあまりの心地よさに、ただバク睡していただけだったのである。

ハッピーのテンコ盛り

 そして、この頑丈な心身に裏打ちされた性格は、底抜けに(底なしに)明るい。ダリはおよそ悲しむということがないのだ。生まれる時、神様が喜怒哀楽の「哀」だけを抜き取って、代わりに「喜」と「楽」を大盛りにしたに違いない。
 もちろん、ダリに限らず一般に、犬は朗らかな生き物である。とはいえ、たとえば先代犬のシェルティは、自分の欠点や失敗を話題にされただけで、眉を八の字にして悲嘆する傷つきやすいヤツだった。また彼は、ある日、父が買って来たヌイグルミ犬が、一瞬一家の主役をさらった時などは、いつの間にか隣の部屋に姿を消して、すっかりいじけてしまった。犬種の特性も手伝って、家族以外にはほとんど心を開かなかった分、家族への愛情は、じつに細やかで深いものだったのだ。
 いや、だからといってダリが愛情深くないと言うわけではない。トイレから出て来るたびに、24年ぶりのように大歓迎してくれる(ちなみにカメラマンT氏は、歓声を上げて激しく跳びつくこの様子を「ダリ喜び」と呼ぶ)し、誰かが昼寝をしていると、必ずその腹の上でちんまり添い寝なんぞする。
 ただしダリの場合、愛情や友情の対象が無差別で無節操なのだ。もしも、ダリの前でヌイグルミ犬を可愛がったら、いじけるどころか狂喜してヌイグルミと遊びたがるに違いない。
 失敗しても叱られても、決してクヨクヨしない。キレやすいが根に持たないし、敵意も悪意も持ったことがない。みんなが(ネコも宅配のお兄さんも)自分と遊びたがっているという、この世の善意に絶大なる信頼をもって生きている。平たく言えば、ダリはとっても気のいいヤツなのだ。

テリア式サバイバル

 それから、最後にもうひとつ、やはりルックスについて、触れないわけにはいかない。つまり、ジャック・ラッセルは、ほとんど誰が見ても文句なしに「かわいい」という事実について。
 いや、ちょっと、他犬種の飼い主のみなさん、シラケないでください。コーギーやMダックスのかわいさに文句があるわけじゃあないんです。チワワやパグの愛くるしさに疑いを挟む気は毛ほどもないし、ラブやゴールデンの優しい眼差しに心がとろけないと言ってるのでもないんです。ただ、ジャックに限らずテリアはみんな、なぜかパッと見にかわいい。それはあくまでも、犬らしいかわいさで、誰にとっても親しめる姿形だと言いたいのだ。それも子犬時代だけでなく、生涯に渡って。
 ところが、ダリを迎えた当初、いや正直最近まで、私はそのかわいさを実感することがほとんどなかった。先代犬の子犬時代には、その自然の造形が奇跡としか思えなかったのに。しかも、ダリは1歳を過ぎた今でも、道行く人から「あら、かわいい!」と、声がかかるというのに。いやまぁ、写真の中のダリを見ると、なるほどかわいいとは思うのだが…。日々、生ダリを前にして、そんな余裕はなかったのである。
 ダリの写真を見るたびに、臆面もなく「かわいい〜!」と親バカぶりを露呈する母が、ある日つぶやいた。
 「もし、こんなにかわいくなかったら、誰もジャック・ラッセルなんて飼わないかもね」。
 つまり、愛嬌−悪行=0。逆に言えば、小憎らしくも、愛さずにはいられないそのルックスによって、まんまと減刑や無罪を勝ち取ってきた…それがテリア族の生き延び方なのだ。
 確かに手の焼ける犬である。迎えたその日から、粗相にイタズラに甘咬み(とても甘いとは言えないが)の狂想曲。だがしかし、それが子犬というものじゃありませんか! どんな子犬でもすることを、ダリは倍のスピードとパワーでやらかすだけのこと。
 家族それぞれ、この先やっていけるだろうかと、絶望しかけたこともある。でも、誰ひとり「こんな犬、親元に返してしまえ!」とは言わなかったし、ダリと別れるなんて想像すらしなかったはずだ。そして、これだけは断言できる。ダリと過ごしたこの12カ月は、先代犬を失った私たちの心の穴を、埋めつくして余りあるものだった。そうして今は、もう家族の誰も、ダリのいない人生なんて考えられないと。
 天使か悪魔かと聞かれれば、ジャック・ラッセルの子犬は、無邪気な悪魔であり、罪深い天使だ。彼らを迎えることは、ひとつの冒険。苦労も悩みもあるけれど、とびきり刺激的で痛快な体験なのだ。
 だから、飼いやすいか、飼いにくいかは、覚悟と冒険心次第。すでに決心したあなたには、波乱万丈の12カ月が待っていることを約束しよう。そして、ちょっぴり自信をなくしかけている子犬育て中のあなたには、明けない夜はないことを知ってほしい。
 あ、それから、あんなに抱っこギライだったダリでさえ、いつの間にか、自分から「抱っこして」と甘えて来るようになったこと。そして、ダリが通うしつけ教室にも、近頃ジャックが増えてきたれど、やっぱりみんなハイパーで、それでも「ダリちゃんに比べると物足りないかも…」と先生方に評されたこともお伝えしておこう。
 そんなダリでさえ、今ではわが家の一員としてけっこううまくやっているのだから、きっと大丈夫。あなたも、12カ月たつ頃には、愛犬の天使ぶった外見を褒めそやす通行人に、経験者ならではの自信を持っちょっぴり得意げに答えるのだ。
「いいえ、この子は悪魔よ」と。