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ダリの
小さな冒険
1月
しつけ実践編1
トイレ/ハウス/アイコンタクト
2月
しつけ実践編2
オスワリ/抱っこ
3月
しつけ実践編3
ダリのクリスマス
4月
初めての沖縄探検・その1
5月
初めての沖縄探検・その2
6月
初めての沖縄探検・その3
7月
初めての沖縄探検・その4
8月
ダリの運動会・その1
9月
ダリの運動会・その2
10月
ダリの運動会・その3
11月
ダリ2歳のプロフィール
12月
ダリ3回目の秋に

ダリ2歳のプロフィール

〜2003年11月〜
競技会で抱いた野望も蒸発しそうな夏を迎えて、
ダリもとうとう2歳。 
あっという間に過ぎ去っためくるめく2年間、
わが家の台風小僧が見せてくれた
折々の表情を振り返ってみた。
ダリの百面相

 犬はじつに表情豊かな生き物である。それを教えてくれたのは、わが家の先代犬、シェルティだ。私と大好きなボール遊びに興じる時は、母いわく「目がタテになる」ほど、 端正なアーモンド型の瞳をキラキラ輝かせていた。写真を撮られるのも得意で、カメラを向けると得意げにニッコリ。一方で、家族が彼の失敗や欠点を話題にすると、目尻を下げて驚くほど悲しげな表情を見せたものだった。
 では、ダリはというと…。彼の場合、ほとんどいつもゴキゲンなのだが、何か楽しいことに出会うと、その瞳はキラキラというよりギラギラ。イタズラのチャンスを見つけようものなら、「やったね!」とばかりにほくそ笑む。たとえば、彼は母の机の上の品々を奪取すべく常に挑戦を続けているのだが、守備よく紙切れなどを盗み出して、何食わぬ顔でこっそりシュレッダーごっこをしようとしても、背中がニヤニヤとほくそ笑んでいるのですぐにバレるのである。犬の「背中」があれほど饒舌だとは、私はダリに出会うまで知らなかった。
 が、しかし、ダリをダリたらしめている表情といえば、やっぱりカンシャク。写真はそのごく一例だ。子犬の頃からさんざん書いてきたように、とにかく意図に反すること、反するかもしれないことには「ギャキーッ! ギャルルルル!」と、キバを振り立てて断固抵抗をする。子犬の頃は、針のように鋭い乳歯を私たち家族や獣医さん、果てはしつけ教室の先生の手にまで容赦なく突き立てたものだったが、さすがに半年を過ぎる頃からは本気では咬まなくなった。顔と声は、相変わらず手負いの猛獣さながら。咬むポーズはするし、歯を当てる真似はする。しかし、ひどいときには舌が紫色になるほど興奮し、怒り狂いながらも、決して人の肌に跡が残るような傷をつけることがないのだ。
 私たち家族も「咬み癖」だけはつけるまいとそれなりの努力はしてきたが、まるである日突然、神様から「これ、子犬よ、それ以上咬むと見捨てられるぞよ」とでもお告げを受けたかのように、はたまた、ダリのアゴにストッパー機能が備わったかのように、それは絶妙な力加減なのだ。よもやダリに限って「理性」が芽生えるとは思えないから、これは何か自然のメカニズム、長年テリア族の遺伝子に伝わってきたサバイバル術なのかもしれない。つくづく、犬って、そしてテリアって不思議な存在だと思う。

ダリの喜怒哀楽

 そんな風に、先代のシェルティとはまた違った意味で、感情表現豊かなダリではあるが、彼にはまだいくつか欠けているものがある。以前も書いたように、ダリはほとんど悲しむということがない。神様が喜怒哀楽の「哀」だけを抜き取って、代わりに「喜」と「楽」を大盛りにしたかのように。
 そして、私は最近、もうひとつ、ダリに決定的に欠けているものを発見してしまった。それは、同情心。
 読者のみなさんの愛犬は、きっとあなたがうっかり机の角に足をぶつけたり、何かイヤなことがあって沈んでいたり、風邪をひいて寝込んだりすれば、心配そうにそばへやってくるに違いない。そして、やさしく慰めるかのように、力ない手や痛めた足、熱っぽい額や涙に濡れた頬を、そっとなめてくれたりすることと思う。わが家の先代犬もそうだった。
 ところが、ダリの場合、そうはいかないのである。先日も、実家のリビングでダリとボール遊びをしていた時のこと。私は、床に座り込み、ダリの目の前でコング(ゴムのおもちゃ)を転がしてやっていたのだが、「よーし、いくぞいくぞ!」と盛り上げたはずみに、テーブルの角にゴツン! 盛大な音を立てて額をぶつけてしまったのだ。するとダリは…。
 「いったぁーい!」と叫んでおデコを抑える私の目の前で、そっぽを向いているではないか。しかもシッポさえ振っている。まるで「ったく! そのくらいなんだい。ほらっ、早く次、投げてよ!」といわんばかりに。早くもコブが膨らみ始めた私の涙目には、ダリが何か、血も涙もない鬼コーチのようなものに見えた瞬間だった。
 そしてまた数日後。今度は妹が珍しくリビングのソファに伸びていた。聞けば、急に体調を崩し、何度も吐いた上、熱も出てしまったという。そんな、青息吐息で寝込んでいる彼女にダリがしたことといえば…。「吐き気に苦しむその腹の上に駆け上がり、ピョンコピョンコと大喜びで飛び跳ねまくること」だったというのだ。妹の熱にうかされた目には、ダリが何か悪魔のようなものに見えたに違いない。
 いや、しかし、だからといって、私は、ダリが本当に、人の不幸を喜ぶ悪魔のような心を持っていると言いたいわけではない。ただ、同情心というものがカケラも見られないのである。そして、それはきっと、ダリが今まで一度もコブができるほど痛い思いをしたり、寝込むほど具合が悪くなったことがないせいであって、むしろ喜ぶべきことなのかもしれないのだ。
 それにつけても、この血も涙もない明るさは、本当にダリの犬生経験が足りないせいなのか、それとも生涯このままなのか? もしくはジャック・ラッセル特有のものなのか、はたまたテリア族共通の生き方なのか…? 謎は果てしなく、興味は尽きない。
 「この犬は、決してあなたを退屈させないでしょう」。ジャック・ラッセルについて、どこかで読んだ一説をしみじみ噛みしめる今日この頃。モジャモジャ頭のその中身を解明すべく、今後もじっくり観察を続けたいと思う。