読書感想文

ロザリーン・ヤング はじめての告白


ロザリーン・ヤング著/村井理子訳/ぺんぎん書房刊

乙女の妄想ボックス

 毎年のプチ忘年会仲間、デザイナーAくんの奥様Mちゃんは、イイ男を見ると、たとえ亭主の面前だろうが、妄想ボックス…すなわち一種の白日夢状態に入ってしまうらしい。その妄想ではカンジン(?)の部分は「リアルになりすぎてつまらない」という理由から常に割愛されているそうなのだが、それもわかる気がする。オトナの女にとって、もはや行為そのものは謎でも夢でもなく日常なのだから。むしろ平穏な日常を揺るがすような、ちょっとしたときめきの方が数段エロティックだったりするもんだ(よね?)。

 一方、ロザリーンちゃんの妄想は、とびきり濃厚だ。思春期の心に沸き上がるピンク色の雲をそのまま上品なお菓子(ウィスキーボンボンか何か)にしたような、8つの物語。ただし、私のイメージでは、ボンボンに封じ込められているのはウィスキーではなくボジョレー・ヌーボー(好き者に言わせるとオボコ娘の味だそうな!)。ひとつひとつ丁寧に包まれて、ヴィクトリア調の絵柄が印刷された箱にきれいに並んでいる。

 「処女だからこそのエロティックさ」と、まうにゃさんが見事に言い当てていると思うけれど、この本には、まさに処女ならではの妄想をのぞき見る楽しさがある。エッチで、ちょっぴり微笑ましくて、どこかせつない妄想を。ちなみに私のお気に入りは『のぞき』。「バスルームの床を磨くクライアント(つまりお金をくれる人ってことだよね?)」という、とんでもなく魅力的な登場人物を別にしてもね。

 私自身のティーンエイジは、のどかな時代でもあり、自分が文学性ゼロのガキだったことあって、妄想というものをいだいた記憶がない(残念なり)。けれど、当時だって妄想たくましい乙女たちはたくさんいただろうし(美大で年下の学友から「学寮のドアノブと合体してとれなくなった」豪の者の噂を聞いたこともあるぞ)、いまどきの10代ならネット上で妄想の花を咲かせることもできる。その中にはロザリーンのそれよりさらにエッチな妄想や奇想天外な物語もあるだろう。
 でも、ロザリーンほど才能豊かで、しかも美しい乙女はそうそういないってことなんだよね。

 20代になってからのことだけど、私も、ひととおり『O嬢の物語』やマンディアルグ、パゾリーニ(サド原作『ソドム百二十日』だったと思う)あたりは通過した。が、ごめん。読んだり見たもののうち半分くらい…とりわけSMやスカトロ、酒池肉林ものは正直、退屈だったのだ。『ソドム百二十日』だったか『カリギュラ』だったかで、背徳の館に拉致された若い男女が、うやうやしく皿に盛られたウンコ(謎のスープに浸ってる)を強制的に食べさせられる場面に至っては、あまりのバカらしさに笑ってしまった(そのスジの方には申し訳ないが)。だって、ウンコ食うなんてバカじゃん?(犬は別だよ)
 ことほど左様に、不粋なまでにストレートな私には、ロザリーンの描くスパンキングの悦び自体はさっぱりわからない。でも、それが彼女にとってのエロティシズムであり、切望してやまないことなのは充分に伝わってくる。20才の女の子が自分のありったけをぶつけたような、この生き生きとした物語たちは、だからちっとも退屈じゃない。それどころか、一気に読んでしまったのだ。
 いい年したオッサンが「どうだ凄いだろう」とばかりに描く変態自慢(再びゴメン)とは一線を画して、きれいで賢い女の子、ロザリーンの青春物語として読めるからだと思う。
 

愛おしさと、痛々しさと

 私がこの本を一気に読んでしまった理由には、物語自体の魅力だけではなく、ロザリーン自身の心のうちを想像すると、痛々しくてハラハラするということもある。

 痛々しいのはスパンキングのことじゃないよ。

 服従やお仕置きを求める感情についての、「厳しい環境で育てられたことがひとつの要素になっていることは確かだと思う」という彼女自身の分析がひっかかってしまうのだ。厳格なカトリックの家庭で、ずいぶんと幼い頃から体罰を受けて育ったらしいことが。
 お仕置きとは「愛のムチ」で、「親が与える『この痛くて恐くてみじめな状態』は愛されている証しなのだ」と教え込まれてロザリーンは育ったんだよね。たぶん実際に愛されてもいたのだろうけれど、一方では、そうでも思わなければ辛すぎる子供時代だったんじゃないかとも、想像してしまうのだ。
 そして、どんなふるまいが正しいのか、どんな考えが罪深いのか、どうするとお仕置きされるのか…常に考え、判断して行動を選ぶ生活は、恐ろしいほどの緊張の連続だと思う。だから、自分の意志や判断、感情の一切を他者にゆだねる「服従」がロザリーンにとっては解放なんだろうとね。

 苦痛を受ける栄誉、試練を耐え抜く誇らしさ、教育(調教)される幸せ、服従する安心感。

 そうした表現が出てくるたびに、何か、彼女の必死の自己肯定のようにも見えて、せつなくて胸が締めつけられるような気がするのだ。こんな心理分析の真似事じみたことは余計な邪推で、私はただ彼女が差し出した物語を味わえば良いのかもしれないけれど。

 それからひとつ思い出したこと。この本に出てくる日本人らしき緊縛女王「ミドリ」さんのステージを、私は以前テレビで見たことがあるかもしれない(ニュース23の深夜便か何かで)。ミドリさんかどうかは定かでないが、とにかく女性の縄師によって舞台上で芸術的に縛り上げられ、吊るし上げられた少女が、最後に号泣するのを見た。「苦痛からではない。心の奥底から何かがこみ上げてくるのだ」といったようなことを、その少女は言っていたように思う。まさに嘔吐するような泣き方だったし、泣き終わった後は、何かスッキリしたような表情だった記憶がある。

 まうにゃさんと同様に私も、ロザリーンの初体験が素晴らしいものであるように祈ってる。
 彼女にとってそれはすなわち「理想の御主人様に処女を捧げる」ことなんだろうけど、本音を言えば、いつの日か「主・従」や「結婚」という枠に守られない関係へも踏み出せるようになるといいね、とも思う。
 それぞれの自我も欲望も責任もしっかり背負った上で、抱き合わなきゃわからない深みってのもあると思うからさ。

 すでにもう、自分の欲望を表現するという枠の外への冒険に、彼女は踏み出しているんだしね。

 エロティックで美しくて痛々しい…乙女の妄想の向こうには、自身の性、そして生とまっすぐに向き合い格闘する真摯でけなげな女性が、私には見えた。だから、官能小説の読後にはふさわしからぬ愛おしささえ感じてしまうのだ。
 がんばって、ロザリーン!